皆さんこんばんは、悪の枢軸こと美術紫水です。
死にたい展が終了しました。
キュレーションして下さった笹山直規さんと、参加して下さった作家の皆さまに感謝いたします。来てくださった方、発信して下さっている方にもお礼申し上げます。
なんでこんな事をやっているの?という声もありましたので、経緯などについて少し書こうと思いました。
本展キュレーターである笹山さんの存在は数年前から存じており、Twitterでの発信を拝見して「面白そうな人だな」と遠目に見ておりました。そして今春、偶然にもお会いできる機会があり、初めてお話ししました。
笹山さんの第一印象は「真面目で繊細な人」です。芸術の世界には沢山います。真面目過ぎるし繊細過ぎる人をいっぱい見てきました。悲しいかな、真面目なだけの人や繊細なだけの人は、死ぬしかないと思います。世界には暴力的なだけの人がそれなりにいますし、啓蒙は全くの無力です。
そこで、真面目で繊細な優しい人ほど、暴力を身に付けるべきであると考えるようになりました。特定の考えなり、啓蒙なり、ルールを通用させるためにも力が要るものですから。
しかし優しい人間が暴力を行使しようと思ったら、これには大変な覚悟が要るものです。暴力を行使すると、自分もまた必ずいずれかの争いに巻き込まれますし、攻撃を受けます。人を傷付けるにも勇気が要ります。共感能力のある人ほど、人が傷つく姿を目のあたりにしたくありません。
ゆえに、笹山さんのように繊細で気配りを欠かさない人が、ある場面においては暴力を行使することを腹に決めて、覚悟を持って物事を実行することを非常に尊く感じます。
この理由から、暴力的な内容を含む展覧会を行使することを支持し、進んで協力いたしました。今後も同様です。
日頃より、暴力と怠惰の美術紫水をお引き立ていただきまして、誠にありがとうございます。
mitsuki oboro